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和暦西暦変換

あの日の星空を再現!ーでも「あの日」っていつ?

最近の星空シミュレーションソフトなどはかなり精度が良くなってきていますので、歴史上のある特定の日の星空を再現してみることもけっこう可能です。そのときに、問題になってくるのが、記録に残っている日付を、そのまま星空シミュレーションソフトに入力するわけにはいかないということです。ソフトの入力は現行の暦での年月日ですので、たとえば日本の歴史的な日の星空を再現しようとすると、和暦を西暦に直す必要が出てきます。実は、これがけっこうややこしいのです。

 和暦の変換

たとえば、赤穂浪士の討ち入りは元禄15年12月15日に日が変わってから、当時の習慣としては次の日の夜が明ける前なので12月14日ということになっていて、今でも12月14日にさまざまな行事が行われていますが、当時はいわゆる旧暦、つまり、1ヶ月は月の満ち欠けに基づいていて、1年間の季節感との差が大きくなりすぎないように適宜うるう月を入れるというカレンダーを使っていました。だから、今のカレンダーでの12月15日から思い浮かべる季節とは少しズレた季節の出来事だったのです。ちなみに、後の方でご紹介する「換暦」というサイトで変換してみると、グレゴリオ暦(現在使われている暦)では元禄15年12月14日は西暦1703年1月30日、ユリウス暦では西暦1703年1月19日と変換されます。

※上記の部分に以下のような間違いのご指摘を掲示板でいただきまして、訂正・および改訂いたしました。ご指摘ありがとうございました。


 「和暦西暦変換」について - kobayashi-otsu (2006年05月22日 22時57分44秒)

はじめまして。本サイトの「和暦西暦変換」のページの「和暦の変換」の記述において、赤穂浪士の討ち入りの日付(旧暦)のグレゴリオ暦とユリウス暦への変換結果の日付が誤っています(グレゴリオ暦への変換結果とユリウス暦への変換結果が逆になっています)。なお、赤穂浪士の討ち入りの日付は普通は「元禄15年12月14日」とされ、この日はグレゴリオ暦では「1703年1月30日」です。「元禄15年12月15日」はグレゴリオ暦では「1703年1月31日」です。為念、申し上げます。


そしてここで困ることが、うるう月を入れるのが適宜というところなのです。しかも、明治より前には、改元がかなり頻繁にありましたし、暦を作る方法も何度か変わりました(改暦)。また、南北朝時代には2つの元号が並立していたこともあります。結局のところ、そんなにややこしいものは、対応表でも作って変換するしかないのです。

それから、今とは違うカレンダーを使っていたわけですので、日本の元号での1年は、西暦でのある特定の1年には完全には対応しないのが普通です。たとえば上記の元禄15年はグレゴリオ暦1702年1月28日から1703年2月15日になり、ほとんどは1702年です。赤穂事件の起こった日は1703年ですが、このような状況なのですが、歴史関係の一般向けの書籍には「わかりやすくするため」ということで、元禄15年(1702年)12月15日と書いてある場合があるそうです。

このような一般向けの歴史書などでの日本での和暦・西暦の表記に関する問題点などについては、和暦、西暦の対応に関する注意点(外部リンク)に、状況を書いておられますので、ご参考になるかと思います。また、和暦から西暦に変換する際の諸問題(PDFファイル)という文章が群馬大学教育学部早川氏の予稿・要旨のリスト(外部リンク)の中にあり、西暦の方での状況を少し書いておられます。この方は、火山の研究者で、歴史資料上の噴火の記録などとの対応との関連で、和暦と西暦の変換の必要性があったようです。

なお、変換ソフトには以下のようなものがあります。

  • 早川氏の文章の中で紹介されている明治以前に対応した暦の変換ソフト「こよみちゃん」(Vector内:Windows用Mac用

もう一つちなみに、Wikipediaの赤穂事件の記述には、対応する西暦の日付としてグレゴリオ暦に改暦した後のことなのに、なぜかユリウス暦の日付が書かれています。

 西暦でも・・・

西暦は1582年にローマ法王グレゴリオ13世が、ユリウス暦10月4日(木)の翌日を、グレゴリオ暦10月15日(金)として切り替えたのですが、実はこの普及に時間がかかったそうで、たとえば東欧諸国では20世紀までもずれ込んだそうです。

星空シミュレーションソフトで日本国内では最も広く使われている「ステラナビゲータ」の場合は、私が持っているバージョンのものの付属冊子の記述によれば、上記の切り替え通りに西暦の切り替えているとのことです。

つまり、ヨーロッパの記録を元にその日の星空を再現しようとしてみるときにも、1582年以降の日付については、当時まだユリウス暦が使われていた地域の記録か、それともすでにグレゴリオ暦に切り替わっていた地域の記録かを確認する必要があるということになります。

そして、先に書いた和暦を変換した場合には、グレゴリオ暦1582年10月15日より前の日付に変換されたときには、ソフトにはユリウス暦の日付を入れなければならないということになります。

 では星空再現!

以上の注意をしながら、ソフトで星空再現をやってみましょう。

たとえば、斉藤国治氏の「星の古記録」(岩波新書黄207、1982年)には、いくつかの日本の歴史上の天文現象が出てきます。

たとえば、源平盛衰記に出てくる水島の合戦の時の日食ですが、上記の「換暦」で和暦の欄に「寿永2年閏10月1日」と入力すると、グレゴリオ暦1183年11月24日、ユリウス暦1183年11月17日と出てきます。これはグレゴリオ暦への切り替え前で、斉藤氏もユリウス暦での日付を書いておられます。ソフトにはユリウス暦の日付を入れてやればよいわけです。

実際にやってみると、このときの日食は朝10時少し前に始まり、11時半頃に金環食となり、午後1時少し過ぎに終了することが確認できます。

推古天皇の時の日食もやってみましょう。これは、日本の年号ができる前ですが、斉藤氏が括弧内で書いておられる西暦の日付はユリウス暦で、それは「換暦」のユリウス暦に日付を入れて変換してみると、「(推古)36年3月2日」と出てくることで確かめることができます。

実際にやってみると、このときの日食は朝8時頃に始まり、9時頃に食が最大になり、10時20分ごろに終わることを確認できます。斉藤氏が書いておられるように部分食が再現されます。

またまたところがなのですが、古代の日食記録による地球自転変動と月の潮汐項の研究(外部リンク:日本天文学会予稿)によれば、部分食のはずだというのは地球の自転速度が一定の場合であって、実際には変動がある。そして、他の日本や中国での関連した記録から考えて、この日食はやはり皆既日食であり、そこから逆に地球の自転速度の変動を推測することができるとのこと。

皆既食が非常に深い部分食になるというぐらいの差ですので、全く日食が起こらないと考えていた日に皆既日食が起こるというほどの大きな差ではないのですが、手元にある星空シミュレーションソフトは、ここまでは再現してくれません。

いや、やっぱりややこしい。でも、おもしろいですよね。